対談「Dialogue 建てるということ」[多木浩二氏と若い建築家3人の対話]
多木浩二
安田幸一
奥山信一
坂牛 卓
(敬称略)
*1.
「ユリイカ2002年12月号」(青土社)より。
多木氏は、2001年8月号より同誌にて『空間の思考』を連載中であり、今回の対話の中には、そこでの言及を土台としている箇所も多い。
2001年8月号:伊東豊雄〈せんだいメディアテーク〉
2001年9月号:坂本一成〈House SA〉〈Hut T〉
2001年10月号:山本理顕〈埼玉県立大学〉
2001年11月号:妹島和世〈岐阜県営住宅ハイタウン北方南ブロック妹島棟〉
2002年11月号:伊東豊雄+セシル・バルモンド〈サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン〉
2002年12月号:ダニエル・リベスキンド〈マイクロメガス〉
2003年1月号:ダニエル・リベスキンド〈ユダヤ博物館〉
(多木後記-『空間の思考』は、建築についての連載ではない。2003年2月号からしばらくは美術になる。)
*2.
『生きられた家』(田畑書店)1976年、多木浩二 著
*3.
『テクトニック・カルチャー 19-20世紀建築の構法の詩学』(TOTO出版)2002年1月、ケネス・フランプトン 著/松畑強+山本想太郎 訳
*4.
ギャラリー・間で開催された、坂本一成展『住宅――日常の詩学』にあわせて開催された空間術講座13「建築を思考するディメンション――坂本一成との対話」。2001年12月から2002年1月にかけて全6回にわたって開催された。2002年9月、同名にてTOTO出版より単行本化。岩岡竜夫+奥山信一+曽我部昌史監修。
*5.
岩波現代文庫『生きられた家 経験と象徴』(岩波書店)2001年2月、多木浩二 著/大室幹雄 解説
奥山 多木さんは、『ユリイカ』での連載の最新号でこんなことをおしゃっていますね。建築は「そのほとんどが本質的にはコンベンショナルな方法で建てられている」と*1 。それを日常性と置き換えると、そうした日常性を全部取っ払って、建築デザインという思考ゲームをしていくと、それはエンドレスになって何も生まれない。建築たりうるものは、どこか日常的なものを背負っているところに意味がある。そうしたことを前提として、現代都市にも、社会にも、あるいは多木さんの場合は歴史の少し深いところまで遡ったりしながら建築に迫っていくわけですが、そこで多木さんが興味をもってきた建築というのは、ある意味で日常性の何かが欠落している、何かが失われているもののような気がします。そしてそれらを通して、建築の本質的なものを見いだそうとしてきたように思います。具体的に言えば、伊東豊雄さんの「せんだいメディアテーク」は過激な建築で、世界中の人たちが計画段階から注目してきました。しかしある見方をすると、言葉は悪いですが、あんな「できそこない」な建築はないと敬意を込めて思うわけです。多木さんがその「できそこない」の何に注目しているのか、そのあたりから少しお話しいただけますでしょうか。
多木 ひとつは、なぜあれが「できそこない」なのかというと、最初から完結させることがまずないことです。そして、ものすごくたくさん入り乱れた要素がある中のあるところだけを切り取ったものに過ぎない、ということを自分で自覚していただろうとは思います。しかし、その次の段階でみんな引っかかったのは柱の形で、それが評価されたりしているけれど、あれは何とかして空中に浮かせられないだろうか、つまり重力感が切り離されたような状態にできないだろうかと考えてつくったと思います。しかし計画的には、あの建築はあれでいいのかなと疑問に思うところがたくさんあるわけです。
例えば僕が一番引っかかったのが図書館で、「あんな図書館ってあるものか」という感じを受けたところから言うと「できそこない」だけど、考え方のおもしろさがあるわけです。それを最初に感じたのは大分前に八代につくった消防署で、あの消防署は都市の部分でしかない形をひとつ実現させるということだったと思います。
そのように考えると、彼は、ものすごくたくさんの要素が複雑に入りまじったものの中から、建築を建て上げるとはどういうことなのかを考えているということです。だから、本当は計画すること、つまりどのくらいシャープな仕上げをして人に美的な感動を引き起こすかということよりも、何かもっと広い都市なら都市という全体の中から建築が建ち上がること、つまり「建てること」、コンストラクトと言ってもいいようなことが、実は彼の中で非常に重要な要素だったのではないかという気がするわけです。
では、「建てる」とはどういう意味があるか。僕が書いた『生きられた家』*2 をみんな建築論だと思っていらっしゃるようですが、建築論ではないんです。『生きられた家』はハイデッガーから始めていて、そこに「建てる」ということがあり、ハイデッガーはその「建てること、考えること、住むこと」が一緒になった状態を言うわけです。彼らはそういう意味の「建てる」ところまで意識化しているかどうかはわからないけれど、どうも問題の所在はそういうところではないか。でも、普通はそうではなく、彼は形の上で評価されていると思いますが、ちょっと違うのではないか、人間が使う建築としては非常にまずい建築だと思います。
坂牛 ケネス・フランプトンの新著『テクトニック・カルチャー』*3 をゼミで輪読しているのですが、これはハイデッガーの「生きること、建てること、考えること」が大きな意味で下敷きになっています。この本で、フランプトンはティポス、トポス、テクトニックを軸にいろいろな建築をざっと評価しているけれど、大雑把に言うと新しい構造をつくった人を評価しているわけです。ペレから始まり、ライト、ミース、カーン、ウッソンなどが入っています。あの文章を表面的に読んでいると、確かに新しい構造ということなのですが、ウッソンあたりを読むとハイデッガーを下敷きにしていることが強く感じられるんですね。要は場所があって、その場所に何か箱が飛んできてポンと置かれるのではなく、そこに何かが構築され生活が生まれるというような、多木さんがおっしゃった「建てること」とかコンストラクトしていくところを評価しているように読めるのです。
実は、つい最近メディアテークを見に行きました。僕も、いま多木さんがおっしゃった「建てること」に近いものを感じました。それはあの建物では人が自然に通過していくような感じがあるのです。外での姿が中に入ってもそのままという風に見えます。つまり建築があの場というものに柔らかにかぶさってきて、あの場の生活をやわらかく包んでいるという印象です。それは先ほどのフランプトンの構築的ということと、すごくつながっていると思います。そこが面白いのですが、それを果たして「できそこない」といえるか。強いて言えば、計画的な基準でみればということですか?
奥山 計画的というより、今僕たちの身の回りに漂っている制度が何となくあるじゃないですか。それは時間とともに移り変わりますが、そこに建築家の構想力が投入されると軋轢を生む。そこにある意味で、建築の根源的なものを感じるわけです。そういう軋轢がなかった時代はない。本当の日常とは、そうした軋轢が起きている状況を言うのだろうと思います。そう考えると「できそこない」の建築は常にあって、そこに僕たちの心やからだを解放してくれるところを見いだすわけです。自分たちの精神を解放したいし、自由になりたい。しかし、そうした自由はその裏側にある不自由 によって支えられている。その不自由な部分を明確に位置づけないと、本当の自由はなかなか獲得できないのではないだろうか。
多木 建築家の場合、空間をつくりたいのか、人間の解放を行いたいのかわからないけれど何かある衝動があって、必ず物質的世界にぶつかると思います。その物質的世界とのぶつかりの中に物質化の抵抗があって、そこに軋みあって生まれてくるのが建築だろう。これが建築の場合「物質」だとはっきりわかるけれど、僕らみたいに言語だけで生きている人間は発見が結構困難ですから、何かわからないものとのぶつかりあいがいつでもあるわけです。
「概念の家」と「生きられた家」の空隙に
奥山 昨年の秋から冬にかけてギャラリー間で6回行った「空間術講座」*4 が本になりましたが、そこで伊東豊雄さんがこういう議論を展開しています。僕たちは触覚的に日常を生きているわけですから、触覚的な空間の存在価値みたいなものは否定することはできないし、それを、つまり「生きられた家」を目指すことには何の問題もないであろう。ただ、建築家が自分固有の方法を追求していった先に発見した「概念の家」を、そこにもう1回重ねるのは大いなる矛盾ではないかと。「概念の家」と「生きられた家」は必ずどこかに一致をみると考えれば、それはクライマックスを迎えるだけであって、そこから先が読めなくなる。僕はそういう意見もわかる一方で、しかし、一致するはずがないと前提するなら、その差異の中に夢を見るというか、ある発見をしていくことには可能性があるだろうと考えるわけです。
多木 そのずれのところです。それはひょっとしたら空白の状態かもしれませんが、そこに建築家の可能性が潜んでいるのではないか。
実は『生きられた家』を出したときに猛烈な批判がありましたが、建築論として読まれるのは僕にとっては非常に不本意なんです。というのは、60年代から70年代にかけては、現象学をかなり身につけようとしていた時代で、僕らの仲間はそういうものに基づきながら、専門の領域はそれぞれ違うけれど似たような仕事をしていたわけです。それは岩波の文庫版*5 の最後に、大室幹雄さんが解説を非常にうまくまとめてくれていますが、その時代は本当にそのようにしてやっていた。そういう現象学的な事例として、建築がどのくらい重要なものであるかに基づき、あれを人類学から、哲学から、あるいは社会学、心理学に至るまでの中で考えてみようとしたものなので、それは絶対に建築家の指針にはならないはずです。ただ、そういうものが存在していることは、建築家にとっても考えるに値することだろう。そして建築家がつくろうとするものと、「生きられた家」と僕が呼んだものとの間には空隙があるはずです。この空隙が、建築家の可能性が発生しえるところです。
安田 その空隙は埋めなければならないのでしょうか。
多木 埋まらないでしょうね。埋めたつもりでやったら、次の空隙が生まれている。ただ、「埋めなければならない」という言い方はあまりしたくなくて、むしろそのギャップを短くするということです。
他者性とは
坂牛 そうしたギャップを埋める手法として建築家固有の方法を希釈することがひとつの方法として浮上します。最近の多木さんの論考にあがったサーペンタイン・ギャラリーの場合、バルモンドのアルゴリズムみたいなものがあり、また以前お書きになった山本理顕さんの場合システムがあります。いずれも建築をつくる方法であると同時に、建築家固有の概念を薄める方法でもあるわけです。多木さんの言葉を借りれば、ある種の主体性の排除みたいなことも一遍に起こす可能性があるわけです。それがあるさわやかさを生んだり、開放感を生んだりすることにつながっていくんだなと感じています。そういう意味では、サーペンタインのアルゴリズムと山本さんのシステムには、ある同じような考え方の流れが感じられるわけです。
奥山 そうですね。だから、ひとりでつくるか数人かという人数の問題ではなく、そこに他者性が入り込む余地をどうつくり出すか。それはひとりの構成力でも構わないけれど、ひとりのまなざしだけが徹底的に支配した空間の場合、概念としての建築が閉塞せざるをえないだろうし、そこに他者性をどう入れられるかがポイントでしょう。
坂牛 そうですね。しかし先ほどのシステムやらアルゴリズムと言ったルールをつくれば他者が入るかというのは、非常に微妙な問題があると思います。ヴォーリンガーの「抽象と感情移入」の話で、抽象というのは何の説明に使われているかというと装飾の説明です。装飾は抽象衝動によってできてきたものだから、アラベスクとかはあるアルゴリズムなわけです。あるアルゴリズムの果てにアラベスクができる。その意味で僕はサーペンタインを見たとき、ペルシャ絨毯のようだなという気がしないでもなかった。つまりアルゴリズムでものをつくるときに、主体性が消えていくような状況がある一方で、ちょっとこてこてしたものになっていく可能性もあるわけです。それはそのプログラムの問題と、アルゴリズムのつくり方の問題があるわけで、そのアルゴリズム自体にある種の他者性、言ってみればドーキンスが言うようなある突然変異とか自然淘汰とかというところまで組み込めるのであれば、それはすごいことだと思います。
奥山 ひとつのパビリオンということでギリギリ成立する建築ですね。
多木 機能はほとんどない。
坂牛 逆に埼玉のようにグリッドというシステムによって全体が構築されたものも、もちろんある種の主体性の排除みたいなものは感じますが、それもまた微妙だなというところがなくもない。
多木 微妙でして、あれは細部が何となくどこか未完成な感じがあって魅力があるけれど、函館になると魅力が消えてしまうんです。それは全部ガラスで包んでしまうので、いくら中でいろいろなことを試みてもひとつの箱として存在してしまう。ですから、未完成でどこに行くだろうかという風景にはならない。
安田 金太郎飴的な長いもの、それが埼玉の魅力だとお書きになっていらっしゃいます。「細長いもの」の可能性として「向こうに何があるんだろう」というわくわくさせる期待感のようなもの、もしかしたら一見して全体が金太郎飴的構成に見えますが、向うのほうでは何か違った新しいアクテリビテイが挿入されているのではないかとか、そういう空間の想像性が出てきますね。
多木 出てきますね。埼玉の場合は、そういうものがあったので一番魅力を感じたわけです。
安田 最初に中庭に足を踏み込んだとき、日本ではないような感じがして、構造体のプロポーションからも想起させるのでしょうが、まるでフランスの片田舎に立っているような錯覚がありました。日本という地面から遊離して、少し不思議な感覚が生じました。
多木 ところで他者性をひとつの糸口として、建築家が相手にしている他者ははっきりイメージできるものなのですか。
安田 目の前にいる具体的な施主は当然大きな意味での他者ですが、われわれが設計するときは、その施主を通り越してどこかに違う他者が存在していると思っているわけです。公共建築はその最たるもので、目の前にいる施主は施主ではない。では、その少し奥にいる○○長が施主かというとそうではなく、もっともっと奥にいるわけです。もちろんその目の前の人の言うことは建築家としてはっきりと回答します。単純な例として、施主が「石を貼れ」と言ったときに、こちらは「そんなお金をここに使うべきではない」と思うかもしれません。ただむだだと思うような石をも受け入れるくらいの許容度があることが大切かもしれません。何処か遠くに施主がいるという感覚だと思います。
多木 みんな少なくとも頭の中では見えない地平を描きながら建築をつくる、と理解していいですか。
安田 現象的にはそうだと思います。それは建築家の職能として、自分なりの判断システムを持っていなければならないと思います。どこか地平の彼方に視点があって、そこからわれわれ建築家が操られている。それは主体性がないという意味では全くなく、どこかそのような見えない力を及ぼす遠くのポイントが存在するのではないかという気はしています。
電子メディア社会と建築
坂牛 多木さんは市民センター*6 で「建築というのは物質に対峙して空間をつくっていくけれど、実はそれは建築家に限らず人間が本来的に持っているある種の能力なんだ」ということを何度もおっしゃっていました。ですから、建てるということが一般的な意味を引き受け得るのは、人間が本来的に持っている衝動というか本能と、建築家がつくることの中に、ある通底するものがあるからだと考えておられるのですか。
多木 あると思います。
坂牛 人間が言葉を使って話すように、人は物質を使って空間をつくれるという考え方が根底にありますね。確かに大昔はそうだったと思いますが、現代社会を振り返ってみると、今日も来るときに駅や大学を見ながら、本当に一般の人はそういう能力を持ちえる状態にあるのかということにある種の疑問を感じるわけです。
多木 あのセミナーを頼まれてやることにした理由は、それだけの能動性を一般の人に持ってほしいからです。あれは一般の人相手のものですから、建築家が聞きに来るものではないんです(笑)。おっしゃるように、みんな能力を失ってしまったわけで、家の中で何かちょっとしたことが起こっても自分の手で直せないわけです。
奥山 僕もそう思います。そう思う反面、今みんな携帯電話を持っているでしょう。電車に乗ると手に携帯電話を持っている人の多さに驚くわけです。おそらく彼らにとって携帯電話は完全に身体の一部になっているのだと思います。パソコンもそうで、あれがないと仕事にならない。うちの学生からパソコンを取り上げたら、一切プロジェクトは停止する。一歩も進行しない。僕はまだ手で書けますけれど(笑)。
ただ、僕はこのような現代的状況を批判的に見たくないんです。道具がなかったら、文明社会は進歩しないわけです。今彼らから携帯電話やパソコンを取り上げると、生活が成り立たないのと同じように、僕たちだって常に何らかの道具がないと成り立たない世界の中にいるのです。衣服もそうで、衣服は身体の一部かどうかという話も身体論で常に話題になります。本当の生身の体は何もない自由な体だけど、それでは生きていけない。今の文明社会、携帯電話もパソコンも含めて、どこか旧来の身体能力を失ってきたことは確かだけど、同時にそれをどうやったら肯定できるかを考えたいわけです。多木さんはその辺をどう考えますか。
多木 まず電子メディア社会であることに対して抵抗したり、それを否定したりすること自体は全く意味がない。しかし、人間が声を出したり、手を動かしたりする能力は、あまり失いたくない。それは人間がものをつくり始めてから、今までずっと続いてきた一種の伝統的なものがあると思います。では現在、そのつくり続けてきた中でどうすればいいか。これは建築よりも、家具も含めたデザインの場合に、かつて持っていたそういうものをつくることの手仕事的な部分がなくなっていくことに直面していると思います。そのあたりは電子社会を認めると同時に、その中で可能な人類が人類であるという、種としての自立性はどこにあるのかを考える問題になるわけです。
不幸なことに、人類は進歩し始めてしまったから、自己実現が十分できないまま絶えず変わっていくわけです。それと同時に、そのときそのときでそれを組み込んだ自分の世界を広げていくにもかかわらず、ものすごい昔からずっと続いているものがあるはずです。それが今どんな形かというと、建築の場合は中で動くということでの身体的なものはそうだろうけれど、つくるということから言えば、デザインの場合はもっと端的に問題を突きつけられていると思います。
奥山 今のお話の中に、先ほどから議論している自己と他者の問題を同時にかいま見ることができるわけです。生身の体だけが自己であるということは絶対にありえないが、どこまでが自己なのかをどうしたら認識できるか。携帯でもパソコンでもいいけれど、そうした道具が生み出す能力のどこまでが自己で、どこまでが他者なのかを常に測定できているなら、電子メディア社会をうまくコントロールできると思いますが、現在の人類はそうした能力を失ってきているのかもしれない。
多木 そうですね。その境界がはっきり見えなくなっている。また、自己と他者の境界を突破してしまって、自己が得体の知れないものになっていくことへの不思議な快感もあるわけですから、そっちに向かっているのかもしれない。
奥山 今のメディア社会は、その不思議な快感を楽しみ過ぎていて、未来を見ていない可能性があると思います。そうした快感は、ひとつの楽しみであり誘惑でしょ。だけど、その快感と同時に、自己の能力でコントロールできる範囲、つまり境界を認識する力を見失ったように見えます。そうした認識力は建築を構想する力とどこか直結するような気がするわけです。それは、先ほど都市から何かを部分として切り取るといったところに、建築の可能性があるという話もありましたが、建築の場合、換言してしまえば、無限の広がりから空間を切り取る作業でしかないということもできると思います。そうだとしたらどういう状況の中からどういう方法で切り取るかは、普段、僕たちがどこまでを自己の身体と考えるかという認識の仕方と非常に近い感じがします。その感受性が、建築家のイマジネーションを何らかの水準でコントロールするだろうと思うわけです。
安田 自己と他者の関係の話ですが、その他者という存在は自己の否定ではなく、自己と非常に近いものであるべきです。このメディア社会とコンピュータライズされた社会では、あらゆる手段、手法が可能です。その中で自己の選択眼が今後ますます重要になってくると思います。少し具体的な話をしますと、ある美術館で基本的には絵のダメージを小さくするため光ファイバー照明を採用しましたが、光ファイバー照明はまたいろいろな色温度に変換が可能でした。今まで蛍光灯なら4,200ケルビンとか、白熱灯なら3,000ケルビンという決まった数値から色温度は選択するというのが常識でしたが、光ファイバーのフィルターとさまざまな制御により、中間の細かい数値まで表現することが可能になる。すると、今度は逆に自分に跳ね返ってきて、感覚論になってくる。つまり、そこまで規定した数値を与えること、それがいい色なのか、他者を使っているけれど今度はそれがいいという判断ができる人になれるかどうかが自分に戻ってくる。テクノロジーが人間性に戻ってくる瞬間があって、人間の目が大事になってくる。今まで3,000ケルビンと4,200ケルビンの違いだったら把握できたわけですが、今度は3,150と3,000ケルビンの違いを見極められるかということになってくる。先ほどの話に戻りますが、例えば3,150ケルビンのほうがいいのだというときの確信的なものは、エステティックな判断かもしれない。ただ、それをどこまで自分で確信できるかで、今度は他者から自分が責められる側になる。だから、決して自己と他者がばっさりと分かれるわけではなく、多分融合しながらキャッチボール的に行われるのでは……。
多木 相互関係にある。
安田 ええ。多分それがコンピュータ化した現代の最もシビアな面でもある。自己をきちっと把握していなければならない。人や機械に投げたらそれで終わりではなく、今度は自分に戻ってくる。要するに、今は何でも可能な時代ですから、どれを選択するかが主体的になってくるわけで、この感覚は今までなかったことです。選択の自由はありましたが、今までできなかった。カラーグラフィックスでも何万色から1色を選ぶわけです。それも最後は人間の感覚になってくるわけで、他者が選んでくれるわけではない。何か数式や関数があって答えが出てくるわけではない。道具としての手の部分は非常に発達していますが、人間の感覚がそこまで発達しているわけでもない。他者に自己が啓発されることになるのでしょう。
坂牛 先ほどの電子メディアの話に戻しますと、大澤真幸が電子メディア論のあとがきに「電子メディア論をやるとすれば、その否定的な可能性を照らし出すことだ」と述べ、身体や他者性の可能性に言及しています。それを見てちょっとがっかりしたんです。そうではなく、身体と電子メディアの狭間で揺れ動いている自分みたいなものがあるわけで、そこをどう捉えていくかということでないと結局もとに戻ってしまう。そう思いつつも、携帯やコンピューターが僕らの思考パラダイムを決定的に変えているかとか、それらが社会を動かすモーメントになっているかと考えてみると、あまり積極的にそうも思えないところがあったりするわけです。それはテレビが出たときに比べれば、はるかに弱いような気がするんです。
多木 ただ、電子メディアからは、目に見えない世界の広がりがこんなにあるのかという驚きは一番感じます。つまり、そこにある情報は価値のある情報ばかりではないんです。確かに価値のある情報はあって、図書館の検索にしてもそうですし、アメリカのある大学は1冊の本丸々出していますからダウンロードすればいい。しかし、そういう価値のある情報だけではなく、もっと非常に暗い欲望の世界までものすごい重層化してでき上がっている。その厚さと広がりと複雑な関係の仕方を見ていると、今までみんなそれぞれの胸の中にしまっていたものなり、時には何かものを書くときにそういうものが外にあらわれたかもしれないけれど、それが何か目に見えないものとしてわれわれの社会の下に横たわっているのは、むしろテレビの普及よりショックとしては強いですね。ただ、自分とコンピュータとの関係から言うと、ほとんどタイプライターとしてしか使っていませんから(笑)、それでは世界観が変わらないわけです。
原理なくして建築は可能か
安田 昨日、インターネットで「多木浩二」と打ったら、476件出てきました。でも、そのほとんどは欲しい情報ではなく、本当に欲しい情報は2~3個で、その2~3個を選ぶのに時間がものすごくかかるわけです。本当にむだな情報がたくさんある。だから、欲しい情報を取り出すのに不自由というか、自由だけど他の多くのむだな情報が邪魔している感じがするわけです。それは本屋に行ってもそうで、あらゆるものが出版されていて数も多い。昔なら欲しい本がすぐ見つかったけれど、今は要らない本が目の前にたくさんあって、それをかき分けていかないと見つからないとか、実はそれも書店によっては置いてなかったりする。そういう時代ですから、電子メディア社会が自由かというと、逆に不自由になってきているかと。
多木 ある意味で情報を遮断することができればいいわけです。僕も最初のうちはネットサーフィンもいろいろやってみたけれど、あほらしくてやめてしまって、もうタイプライターとしてしか使っていません。
奥山 今の若い人はそんなものではなくて、うまく活用しています。
坂牛 いや、活用能力はあるけれど、それは僕らが図書館に行ってカードで欲しい本を検索していたその能力と原理的には変わらない。ただ電子メディア社会ではこの検索能力が飛躍的に増大しているのです。入ってくる情報量が比較にならないほど多くなっているのです。だからある情報がちょっといいなと思えば断片的にセーブすることをやるわけです。ネット情報に限らず、自作の情報もコンピュータの中に断片的にセーブします。そしてセーブしたファイルが急速に蓄積され、それを検索してぱっと取り出してくるという、セーブと検索能力がついてくるわけで、思考の断片化したものをまた組み合わせるみたいなことがあるわけです。その点では、僕らの思考の形態を変えているところがあると思います。僕らは常に驚異的なデータベースを抱えているのです。
奥山 先ほど多木さんがおっしゃったように、猥雑なものから高尚かもしれないものまでごっちゃになっている。問題は、断片化された情報に価値が投影されないことです。その価値をつくり出す能力さえあれば、それらは最も有効なツールになっているはずです。
坂牛 逆にその価値を見極めないで、非常に多くのファイルがヒエラルキカルではなくて並列され、それが言ってみればフラットにつながっているのです。ですから、設計をやっている若い人と話をしていると好みに序列がない。これよりこれがいいとかという感覚はあまりない。当然そこに理屈もあまりなく、ただ並んでいる。何か設計するとなると、これとこれをとってきてかぽっと組み合わせるということがおこります。そういう方法は、情報化社会だから起こったのかというと、ちょっとよくわからない。他にも理由があるように感じます。
奥山 そこにはある意味での心地よさがあると思います。自分の感覚がどこまで及んでいるかよくわからない世界、自己がよくわからない世界というのは、ある意味での快楽を生み出すでしょ。だから、それは快感なんだと思う。
坂牛 もちろん快感ゆえのノンヒエラルキーということもあるのですが、その裏にあるメタ原理みたいなものがなくなったことのほうが大きく作用しているわけです。だからノンヒエラルキーは情報化社会だから起こってきたことではなく、もっと前から起こり始めている。そこに情報化というものがあるツールとして入り込んでいることは事実だけど、情報化社会だけが原因になっているわけではないと僕は感じます。
奥山 僕もそう思います。衣服も本来的にはムームーみたいなすごく楽なものがいいし、靴ももっと楽なものがいい。女性の立場でも同様だと思うわけです。しかし、そうではない衣服が世の中の大勢を占めている。そこが社会の仕組みの面白いところで、欲望と願望が常に表裏一体となって現れてくる。禁止をすることで誘惑が生まれるというか、それがどこかでエロティシズムと結びつくし、人間の根源とかかわる部分でもあるわけです。何かを制御する、その裏側にもうひとつの快楽があるとか、それが坂牛さんの言われるメタ原理を支える社会の枠組みだと思うけれど。
多木 だけど、例えば建築家は、建築についてのメタ原理なしに建築をつくれないでしょ。
奥山 確かにいわゆる建築家はつくれませんが、現実的な設計作業の中では、メタ原理がなくても、論理的には建築をつくることは可能だと思います。
坂牛 メタ原理をどこまで定義するかによりますね。非常に大きな意味でのモダニズムとか、そういうコンセプチュアルな目標みたいなものをメタ原理とするなら、それなしでもつくれると思いますが、計画上の基礎みたいなこと、例えば便所の幅は90センチとかも含めてメタ原理と言うなら、なかなかつくれないかもしれない。
奥山 それはメタ原理ではなく、そのときの単なるルールでしかない。先ほど坂牛さんが言われたことは、ひとつのプロジェクトに対するいろいろな解法が全部等価に並んで、そこに価値が投影されない世界でしょ。そこには当然理屈も入り込む余地がない。それはメタ原理のない世界です。とにかく何らかの根拠でセレクトできればいいわけで、これが感覚的にいいとみんなで決めてしまえば、それで計画案を固定することができてしまいます。この自己が薄まってくる瞬間が。まさしくひとつの快楽でもあるわけです。
坂牛 僕がメタ原理をふたつに分けて、モダニズムなどの非常に大きな原理の下にもうひとつ小さい原理があるとわざわざ言ったのはこんな理由からです。今事務所で若い人と設計をしています。そこではもちろんモダニズムのような第一原理みたいなものはありません。さらにその下の原理も希薄なんです。例えば、トイレの幅は90センチメートルだとか50平方メートルの家の中に廊下が10平方メートルもあったらおかしいだろうとか、それを設計の基本的作法とか計画の基礎と呼んでもいいかもしれませんが、そういう原理も飛んでいるのか飛ばしているのか、希薄なんです。ですから多木さんが、妹島さんを評して「どうしてここまでシンプルになれるんだろう」という書き方をされていましたが、妹島さんがそういう小さいメタ原理をあえて飛ばしているとも読めるのです。
奥山 ただ、それは飛ばしているのではなく、廊下やトイレの幅とか面積は、現在の社会の中で成立しているある種の制度であり、歴史的に見ればトイレの大きさにしても、廊下の面積にしても現在の常識からかけ離れたものがいくらでもあるわけです。そうした広範な事例の中からセレクトしているのか、その歴史の参照があるのか。具体的に何かを参照していると明言しなくても、それをかいま見せる、考えることが、見る人にそこまで及ぶかどうかという最終形になっているときに、そのメタ原理は成立すると思います。それがない場合は単なる形式のゲームになっていく。
多木さんが妹島さんの建築を見て、あそこまでシンプルにいろいろなものをそぎ落として、なおかつそこに魅力があるとしたなら、彼女が意識しているかどうかわからないけれど、立ち上がった建築の最終形に過去の膨大な歴史の断片をかいま見ることができるということですよね。そこに到達している場合はメタ原理があるわけです。
多木 彼女の場合にはそれがあって、あえてあそこまでやったんだと僕は思います。低家賃の賃貸の公営住宅という条件があったからかもしれないけれど、彼女以外の建築家なら何か大きさを変えるでしょ(笑)。あれを均質にやってしまうのはちょっとすごい。このすごさはどこから来るのだろう。これは彼女の人間に対する考え方も反映していると思いますし、同時に1回全部切り落としたほうがいいという気持ちが働いたんだと思います。金沢のものはある段階の模型までしか知らないけれど、大分複雑になっていますね。だから、必ずしもノイズのない建築をつくろうとばかり思考しているのではなく、1回そこまでやってみるということだったんだろうと思います。
奥山 ただ、そこに現在の建築が抱えているある種危険で、あやふやな状況があると思います。妹島さんが、今多木さんが説明されたような水準に達しているという最終形と、それらとはまったく無関係にゲーム的な方法で出てきた、先ほどメタ原理がなくても成立するといった方法で出てきたものとが、見分けがつかない状況があるわけです。妹島さんがつくる建築の最終形がもつ抽象度の高さは、同時に模倣も生み出しやすい条件を備えています。実体の追体験がものすごくしやすいが故に、エピゴーネンが大量に発生する。この建築的状況は、先ほど議論したコンピュータや携帯電話が生み出す社会の中で、どこまでが自己なのか確定しにくい状況とどこかリンクするわけです。
多木 それは理解できます。すると建築家の中で「建築をつくるという行為は何か」という疑問がはっきり出てくるわけでしょ。その状態に対して、どういう問いを投げかけていくかが知りたいんです。
坂牛 今メタ原理と言いましたが、若い人にとってはメタ原理ではなく、メタボキャブラリーとかメタシェープになっているところがあるわけです。表層の後ろにあるのは原理ではなく、ずらっとたくさん並んだ形のデータベースで表層に形のコンポジションがあるという二層構造が感じられます。そうしたときに、多木さんのご質問に素直に答えると馬鹿かもしれませんが(笑)、こうしたメタシェープとかメタフォーム以前ということだと僕は思うんです。原始的な形式とか、原始の原理でもいいかもしれませんが、そのデータベースには何の興味もなく、その一歩裏にどうやって入っていけるかに一番興味があって、そのためには何なのかというところだと思います。
建築家よ理想主義者たれ
多木 建築が発生する以前に、建築家の中にはいろいろな図形的な幾何学的な衝動があるわけです。だから、リベスキンドのドローイングなんかがそうだと思いますが、リベスキンドは今度そこから建築に進むとき、ものすごくはっきりした手法の原理をいくつか立てるわけです。それは、ある歴史の持続性あるいは歴史の変動、この都市あるいはこの世界を未来につなげようという理想主義がないと不可能です。だから、あれは格好がどうのこうのいわれていて、確かに美術館として醜いにもかかわらず、ドイツの歴史とユダヤの歴史が重なりつつ発生してくるプロセスには、伊東さんにはないもう少し思想化された理想主義があると思います。もし建築家を特筆大書するなら、理想主義者であるべきだと僕は思います。そういうことを言うとアナクロニックに聞こえるかもしれませんが、どこかで理想主義者にならないとメタ原理も出てこないし、自己と他者の間の境界に対する解決も出てこない。そういうことを言うと、確かにアナクロに聞こえるけれど聞こえてもいいと思う。そう言えるくらいに世界がむちゃくちゃになっているから、もう言ってもいいんだという気がしているわけです。
安田 リベスキンドとバルモンドがやった、ロンドンで建設予定のアルバート・ミュージアムはフラクタル理論をずっと追い詰めたものですね。あれは文句なしに力強い。理由はなくて、それがいい悪いという問題の前にもうやられてしまったというくらいの力強さがありますね。
多木 それに比べると、評判はいいけれどビルバオのフランク・ゲリーのはそんな魅力を感じない。あれはどこか理想主義の欠落がある。
奥山 建築の世界で理想主義を考えるとき、危ない方向に向かう可能性がひとつあると思います。建築は社会的な資本をかなり背負っているところが多分にあるので、全体主義とまでいかないにしても、その理想主義が社会を直接的に変革していけるという想念に直結することが、常に建築家の中での危険性としてあるわけです。僕たちはそうした事実を歴史的にも知っているし、それらが一体何だったのかもある程度知っているわけです。当の建築家たちあるいはその建築家をサポートした人たちが、最初からそうした危険な状態を目論んでいたのかどうかわかりません。おそらく後押しした人たちはかなりの確信を持ってやっていたと思いますが、建築家はどこか踊らされていた可能性がある。そうした危険性について思い巡らすたびに、社会と建築のつながりの恐ろしさに気づいてくる。理想主義がもってっているそうした側面を考えなければならないと思います。
多木 現代世界が一番めちゃくちゃなのは、あした戦争が始まっても不思議ではないところです。理想主義という場合、そこまで押さえている必要があり、それに反対する立場をとることを含んだ理想主義です。だから、それがないと、理想主義は明らかに全体主義的になりえる可能性を持ちえる。
奥山 戦争の問題もありますし、政治の問題もありますね。戦争までいかなくても、戦争に近いような政治があるわけです。
多木 現に身の回りにあるわけです。もうひとつ、これは建築が解決できるとは思わないけれど、いま人間の平等が失われていて、不平等がものすごく広がっている。だから、人権もどこかに行ってしまった。そういったことまで視野に入れた上で「理想主義」と言ったのですが、そういう理想主義はどこかで持つべきです。情報社会が人間に及ぼす影響と同時に、政治や経済や人間の存在の問題が建築に影響を与えると思います。それを解決する答えを建築の形であらわすことを言っているのではなく、そういうものなしにやると、いつまでたってもメタ言語は生まれてこないという気がするわけです。
こんなことを言うとばかにしか聞こえないような言説ですけれど、僕はどうでもいいからそういうことを言いますが、建築の世界では、そこがあるかないかは情報社会を考えることと同じくらいのウエイトである。今人間も社会もおかしくなっているわけで、その中で建築をつくることは、人類の能動的な活動に意味を与えることができるかどうかという瀬戸際まで来ているわけです。
奥山 例えば、第二次世界大戦で降伏した後の日本の建築家たちが始めた仕事の多くは、多分に今、多木さんが言われた内容を下敷きにしていたと思います。しかし、その歯車があるときから狂い始めた。方法それ自体が目的になったというか。
多木 それと最初の出発点の思想が単純だったこともあり、そのうちに、日本の資本主義がそんな単純な思想を簡単に乗り越えることが起こったんだと思います。
坂牛 この間、とある3人の詩人のシンポジウムを聞きましたが、その中に「9月11日以降に詩を書くことの意味は?」という質問がありました。そのときに、あるひとりは「あれは80年代からある問題が爆発したに過ぎない、しかしあれが爆発したとき、塹壕から見ている光を感じた」という表現をして、さすがにうまいなと思いました。そして詩人たちは多木さんのおっしゃる問題を内面化して創作の中に構築していけるのだと思います。一方建築は言語的なアナロジーで語られることはありえますが、そんなに綺麗には語れないだろうと感じるのです。多木さんのおっしゃることはよくわかりますが、今果たして建築はそこまで訴求力を持ちえるかという風にも思います。理想主義を持てと言われると元気も出てくる反面、「そう言われてもな…」というところもなくはない(笑)。先ずは建築というものが表現として持っている位置づけがどの辺にあるかを見定めてからでないと。
奥山 そのとおりですね。理想主義の射程というか。
多木 そうですね。それは、今の社会の中ではなかなかはかれないものですね。
安田 建築は現実だから、他の世界と多少違うわけです。非常に具体的であるし、いろいろなことが日常的事象で決まってくるわけです。ですから、理想論をつくるとき、いろいろな現実を網羅でき、それらを許容できるような、広い意味での理想論でないと反映できない。それが何なのか。
奥山 多木さんは、多分、社会とのつながりをその存在形式として断ち切れない建築だからこそ、それができるんじゃないかと言っているような気もするんです。
安田 それはよくわかるんです。ネガティブでもポジティブな意味は含まず、例えば詩とか芸術、美術、いろいろなものを包括するわけです。それが社会全体を反映するようなものに近くなってしまうと、今度は具体論が出なくなってくるので、あいまいな言い方ですが、ターゲットとしてはその中間点になってくるだろうと。
多木 それが先ほどの「生きられた家」と建築家がつくる家の間にある空白のギャップで見る夢かもしれないし、情報社会や戦争の世界から受ける圧力の中で見る夢かもしれない。しかし、詩人も私も普通の言語を使って表現するけれど、建築家の場合は建築を使って、そのかなわぬ夢を見ることは可能なのではないか。そうあってほしいと思います。それだけ建築は人々にとって重要なものなのだから。
(2002.11.27 東京工業大学百周年記念館にて)
【多木後記】
若いすぐれた建築家たちと話すのは初めてのことで、話してみて面白かった。
それは私にとってまったく未知の相手、他者であったからである。
これを纏めたのは3人のうちのひとりであり、あとの2人は加筆訂正している。
話している最中も、纏められたものを読んだときも、お互いに同じ言葉を使っていても、その意味内容が随分違い、結果として全体に私の言おうとすることとかなり違いがあったが、私は3人の纏めたものに加筆したり訂正したりすることを一切やめた。
それは纏め方まで含めて3人の建築家が自己を主張し、本来、異質な私を踏台にしながら語っていく姿勢のあらわれだと考えたからである。
食い違いをいちいち訂正するなど愚かなことだ。
私は人文系の人間であり、人文学的な思考にとって興味あるかぎり、建築をディスクールの対象にするだけのことであるから、いろいろな食い違いは、むしろそれ自体が私が自分を省みるには興味のあることであった。
これを読んだ読者が私をどう思うかは、私にはどうでもいい。
ただ多少のアイロニー(たとえば理想主義)は忍び込ませているが、4人とも、もう少しアイロニーと逆説で遊んでもよかったかもしれない。
その方が真実に近づけたかもしれない。
初出:『建築技術』2002年5月号